公開日 2023年5月17日
黎 明 時 代
第1 日本国民をはじめ世界の皆様へ
死と悪魔に打ち勝ち、この世を統べ治めておられる主イエス・キリスト、すなわち、正義の王 MELCHISEDEK 様の御名をほめたたえます。
この度、正義の王・平和の君のご命令により、次の重大な内容を発表します。
復活でおられるナザレ人のイエスと呼ばれた救い主の御計画により、黎明運動を開始した当越励学院の院長であり、書き手姉妹の実父である阿南巌(くまな・いわお/1953年11月19日茨城県結城郡生まれ)は、本年2月15日に亡くなったその3週間後の2023年3月9日に、よみがえりました。
さらに、その数時間前の3月8日、23年間死別していた父の妻 Margreth Linder(1953年9月6日スイス生まれ/姉妹の実母/帰化以前の他界によりスイス名で表記)にも新たに命が与えられ、母までもが死人の中からよみがえりました。
43年前の1981年5月17日に夫婦で来日し、真実と正義を愛しながら日本国民の幸のために尽力し続けた両親には、ともに新しい肉体が与えられ、院長夫妻は今、日本以外のアジアにおける一国を中心に、BET NOA 活動に励み、世界を相手にしています。
このようにして、当学院院長阿南夫妻の実際の復活というものすごい奇跡により、黎明時代がついに始まりました。
れいめい
えつらい
くまな
れいめい
メ ル キ セ デ ク
・BET NOA 活動とは、 四・一神教、すなわちイスラム教、神道、ユダヤ教、キリスト教(の人々)の相互理解と道案内に努める働き。
(https://squareupwalks77.wixsite.com/yurakucho )(第40番動画にて)
・当学院が公開する内容は真実である。
ただ、見解板の物語調「直視せよ」では例外として隠喩法を用いることがある。
※
※
院長夫妻に関するその後の主な発表
▪️2023年5月30日 GET SET, GO! 第5
▪️2023年8月23日/25日(新情報)
▪️2023年6月21日 「復活の証」及び内閣府の責任摘示
▪️2023年11月8日 「院長からのお知らせ」
▪️2024年3月9日 (新情報)
2024年3月10日追記
第2 黎明運動の開始及び宣言
2022年2月5日開始/2022年5月23日宣言
「早梅の二月、全国に及ぶ世紀の両刃独立運動が始まった。一方は、1951年のサンフランシスコ平和条約にも著しく反する支配体制、つまり戦後のアメリカによる日本鷲づかみからの独立。他方は、第32代崇峻天皇の暗殺という6世紀の酷いクーデターをもって千年以上もの軍事支配体制を一方的に敷き、現在もアメリカの手先として振舞う大勢の特権維持朝鮮人からの独立。
黎明運動の開始日及び宣言は、2021年2月5日にちなみ、定められた。それは、ジョセフ・バイデンアメリカ大統領の指揮のもと、政治思想を理由に実行された活動家・阿南巌(元スイスの聖職者、2002年から日本国籍者)に対する戦闘機を使った電磁波攻撃による殺害計画の実行日であった。しかし、いと高きお方の御手が奇跡的な回復を与え、この、本年の2月5日が、純粋に日本国民の黎明をもたらす非暴力非武力の独立運動の開始日となった。」
第3 復活の目的
正義の王は、「正義が悪に勝つ」及び「復活の力が死の力に勝る」という不変の真実を日本国民に示すために、そして世界が受け入れるために、当学院院長阿南巌が一度亡くなるという道のりを用意された。これに従い、本年2月15日に院長は実際に一度亡くなったが、主イエス・キリストのお言葉により、その三週間後の本年3月9日に院長阿南巌は実際に復活したのである。そして、院長の妻(姉妹の実母)の23年前の死に関して当時死者崇拝カルトによる霊攻撃があったことをご存じでおられる唯一の神は、夫婦の復活という前代未聞の奇跡を始まりに、御自身が捕囚の民を解放することをお示しになられる。(お約束はこちら)
日本国民にとり、アメリカによる70年以上の「冒涜」支配、及び、百済朝鮮による1353年の「死」の支配が終わった。
全世界にとり、黎明時代が始まった。
ぼうとく
くだら
第4 悪霊の敗北
ア)大勢の切腹 ― 院長お誕生の家
1951年 阿南院長の両親はスイス人宣教師夫妻として来日し、「光の小道」と題するラジオ番組の開設や放送、刑務所内での更生伝道活動などを通して戦後の現状を目の当たりにし、主に茨城県や神奈川県で日本の戦後復興に尽力した。
同年、院長の父(姉妹の祖父)は不動産屋を通して茨城県結城郡にある古民家を紹介され、一軒家としては家賃が低く良い話だと思い、不動産屋を信用した。そして賃貸借契約を締結し、妻(院長の母、姉妹の祖母)と幼い長男との三人でその古民家に入居した。近くには寺があった。
若い宣教師夫妻として経済的な余裕も無かった祖父母は家を見つけることができたことに安堵したが、それも束の間であった。何も知らなかった一家は、最初の夜を迎えた。深夜0時を境に、古民家内で様々な霊現象が始まり、朝方まで続いたのである。
近くに犬などいないなかで何匹もの犬の吠える音がしはじめ、やまない。
襖が勝手に開いてはまた閉まる、
屋根裏から何者かが鎖を引きずり回すような鉄のすれる音、そして、
何者かが和室を歩く、布団のすぐそばまで近づいてはまた離れるという畳を踏むその独特の足音。
凍りつくような、この複数種の霊現象が、それも同時に、そして何時間も続いたのであった。そればかりか、翌日の夜も、その次の夜も、毎晩、深夜0時に激しく始まった。このため、その家は近所で「悪霊の家」と呼ばれていた。
祖父母は毎晩、主イエス・キリストに強く祈り続けたが、一睡もできないほどであり、疲れ果てていった。数日後、不動産屋を訪れた祖父は状況を説明した。不動産屋は開き直った様子で「どの入居者も、長くても二晩で解約する」旨の話をし、祖父は選択を迫られた。しかし、このまま退去すれば主イエス・キリストの御名に不名誉がかかると理解した祖父は、とどまることを選んだ。
近隣住民にも話を聞くことにした祖父は、その家でかつて多くの武士が切腹したとの証言を複数人から得た。そして、その「切腹しやすい環境」を、近くの寺がつくったと人々は話した。
その後のある晩、懸命に祈るなかで祖父は御指示をいただいた。「屋根裏に上がりなさい」、「中心の柱の所まで進みなさい」、「その柱下にある入れ物に入っている物(石)を持ち出しなさい」、「それら複数の石を敷地の境界線の外側に投げなさい」、「イエス・キリストの名によってこれらをしなさい」であった。祖父は、主イエス・キリストの御名によって、その通りに行った。すると、それまでの激しい霊現象が、すべて、止まった。そしてその後、二度と起こらなかった。祖父母はこの大勝利に喜び、主を讃美した。
数日後、祖父が近くのその寺の住職にこの一連の事と解放の奇跡を話すと、その者は激怒するのみであった。
ふすま
・「1953年」を「同年」に訂正(6/12)
イ)死産後の復活 ― 70年前の1953年秋
その後、一定期間が経過したころ、見知らぬ老婆がやってきた。祖母の妊娠を気遣うかのように言葉を掛け、世間話をした。日本を知らなかった祖母はその時十分に警戒せず、老婆が妊娠中のお腹を触ることを許してしまった。
やがて産み月となったが、出産を感じさせる変化が伴わなかった。祖父母はしばらく様子を見ることとしたが、妊娠10ヶ月となってもなお陣痛が始まらなかったため、宣教団の医者に連絡をし、医者が駆けつけた。母子の命が大変危険な状態とみた医者はすぐに陣痛促進剤の注射を何本も打った。これにより出産へと進んだが、ようやく誕生した子は青白く、呼吸もしていなかった。医者はすぐに氷水の入った桶と熱いお湯の入った桶を用意し、新産児をお湯に入れては冷水に入れてを繰り返した。だが、反応は無かった。そばにいたその両親(祖父母)は主イエス・キリストに切に祈り続けた。すると、 ― 突然 ― 、産声が上がったのである。
一度命を奪われた赤ちゃんのその産声が、あの古民家中に響くようになった1953年11月19日の誕生と戦いの史実である。
このように誠の奇跡によって、院長阿南巌は誕生の時にすでに、再び、命をいただいたのであった。
おけ
くまな
第5 「訓練地」日本での死別と発覚の事実
ア)学問のために一旦スイスに戻り大学で神学を専攻していた院長はバーゼル大学在学中の1976年に当時小学校の教諭であったMargreth Linderと結婚し、牧師の資格を取得した1979年にスイス国立教会の牧師に任職された。そして、当時ヨーロッパで社会問題となっていた韓国カルト「統一教会」(世界平和統一家庭連合)による青年拉致事件を受け、その被害者救済にも尽力していた。
イ)43年前(1981年)の5月17日、院長は妻子を連れ、日本に戻った。そして、組織作りをしない牧師として妻とともに教育活動を開始し、牧師としての働きをも続けた。そして、1988年からの12年間、両親(院長夫妻)は千葉県富津市から建物(富津市富津679-1)を借り受け、「さんび学院国際学校」の設立及び試運営の責任者を務めた。ともにユダヤの背景を持つ両親はその道徳基盤と歴史認識を重視し、アメリカ寄りではなくヨーロッパの教育理念に基づいてさんび学院を設立した。さんび学院では院長夫妻やスイスからの補助教師によりドイツ語基盤の小中高校教育が授けられ、手作業に重点を置いた多面的な体験や学びがカリキュラムに盛り込まれていた。すぐに規模が大きくなり評判となったのは特に子どもから大人までの英語教室と学童保育であり、さんび学院は毎日多くの子どもが明るく楽しく時間を過ごす場所となっていた。夏休みには子どもを一日中預ける親も少なくなく、夕方の迎え時に「まだ帰りたくない」、「もっと遊びたい」などと言う小学生の子どもを待ちながら母親同士が1時間以上長話をすることもよくあった。
八男二女を授かった院長夫妻は大家族の両親として、そして教育者兼牧師夫妻として真心をもって若い世代のために尽力していた。そのため、他小学校から放課後に遊びに来る子もいるほど、子どもたちの「さんび行こう」、「今日もさんびで遊ぼう」が頻繁に聞かれ、さんび学院は「とにかく明るい。」「安心できる。」などと保護者の信頼と評判を得ていた。
ウ)しかし、それをけむたく思う者も増えていった。とりわけ、自分たちの子どもでさえ喜んでいるという事実に気づいた富津の漁師らであり、その多くは在日朝鮮人であった。そして、「活動が続かないようにしてやる」と言い、複数人の富津漁師が、ある寺に行った。「堂々と明るい」を接点に「どうみょう寺」の僧侶らと話をした。その結果、死者カルト(世界の仏教と違い、日本のものは「仏教」とは言えない「死者カルト」である)の住職、僧侶は霊攻撃を行うことを決め、富津漁師はそれをお願いした。そして、これらの死者崇拝者が霊儀式を行い、院長の愛妻であり大家族の母であり主任教師であったMargreth Linderを標的にした。この攻撃により、母は体調を崩し、病に伏した。そして短い闘病生活の末、2000年1月に、46歳の若さで他界してしまい、さんび学院国際学校の設立に突然の終止符が打たれた。
当時、確認を行った千葉県富津警察はその死因を「リンパ腺の癌」としたが、彼らも漁師と繋がっていた。
その5年前の1995年9月6日、院長の八男 Paul Ephraim(パウロ・エフライム)が生後一ヶ月の時に、朝方にようやく落ち着いて深く寝入ったその少し後に突然死で亡くなった際、富津警察は監察医に指図し「嘔吐物による窒息死」という極悪で偽りの死因を書かせていたのである。そして、愛情を注ぎ健やかに成長していくわが子を失ったばかりのその悲しみのなかにいた両親を最初から疑い、個別に聴取し、日本語があまり上手でなかった母を卑怯に誘導尋問していき、遺族となったばかりの父母を邪に攻めた。
突然死は病死や事故死とは異なった大きな衝撃を与える。そして、赤ちゃんが眠っている時と変わらない様子で亡くなることが少なくないため、その事実を受け入れるまでに時間もかかる。さらに、八男の場合には死臭も死後硬直も一切なく、七日が経過した後も頬や腕を触ると赤ちゃんの柔らかさのままであった。このように、彼が死の印を受けなかったという奇跡を警察も目の当たりにした。それにもかかわらず、また、両親がさんび学院の院長夫妻として子どもたちと日本社会のために心から尽力していたことを十分に知っていたなかで富津警察は背後で「過失致死罪」をでっち上げるための周到な準備をしていたことが判明している。
このため、母に関する一件で後に、警察とは無関係の厳しい調査が実施され、その結果、当時、死者カルトが母に対して霊攻撃を仕掛けたという重大な不正が発覚した。そして、警察組織は霊攻撃による他殺事件を捜査から除外しているが、正義の王は、この事件と関係者の言動をも見届けられた。
ヽ
ヽ
よこしま
上述のとおり、世界の仏教と違い日本のものは仏崇拝、死者崇拝であることから「仏教」とは言えないのであり、「死者カルト」と呼ばなければならない。わが国日本の第32代崇峻天皇を始め古代王国の大勢の責任者を残忍に殺害した百済からの死者崇拝者である住職や僧侶及びその類の無数の宗派別カルトは、特定の国民を苦しめ、死に追いやるため、そして殺害するために、1300年以上の長きにわたり霊攻撃を手段としてきた。上述の「どうみょう寺」は、拷問を正当化した昔の儀式「くがたち」(神判ではない)という名のもと今なお残虐な儀式を行い、実際に国民を殺害している。
最も邪な方法で国民を殺害するそれらはさらに、その特定の人が亡くなった時に「お坊さん」として何も知らない遺族に呼ばれ、自宅に上がることが少なくない。そして、「本当に気の毒なことで、しっかり供養します。」などと遺族に言葉をかけ、遺族の悲しみを生々しく体感できることをも快楽の一つとしている。遺族に対して悔やみの言葉を表現するその彼らは、背後では「これで奴は死んだ。あれも俺らの手柄だ。」等と言い、自らが霊攻撃で殺害した人の氏名をどこかに刻み、供えもの用の物品までをも立て、互いにその殺しを誇り、霊力を競うほどなのである。
ここで、強調しなければならない霊の構造がある。亡くなった人の霊はこの世にとどまることはできない。そして、特定の時期にこの世に戻ってくることも無い。死亡後に人の霊は進まなければならないのである。
院長阿南巌が官邸前で強調したように(当学院「あらわ動画」28番)、死者カルトの僧侶らが死や死後の世界を本当に知っているのであれば、永田町の太った僧侶らは昨年のあの7月8日の朝に、彼らの仲間安倍晋三に対し「今日は絶対に奈良へは行くべきでない」と言えたはずである。だが、安倍晋三容疑者は射殺された。
日本の歴史を見ると、古代において神道が国家国民の道徳基盤であったことが明白である。現在はかけらのみが残るが、神道とは最高神天御中主神に対する畏敬の念を持つ強固な神意識による価値観の基盤であり、古代日本の唯一の道徳基盤であった。そして、古代の日本国民は「祭政一致」の考えのもと、平和な王国を築いていた。祭政一致とは、「神を崇め祀ればこそ、良き政治ができる」という概念であり、天皇陛下を中心に据えたものの「陛下」(「陛・きざはし(階)」)の字にも表れているように、天皇は『天と繋がっている階段の下に侍る人(「陛す」階段の下に侍立する)』であった。その中で強調すべき神道の特別な特徴の一つは「死」を「穢れ」とみなすことである。このため、身内が亡くなった時などに「物忌」をしなければならず、共同体に死の穢れが及ぶことや新たな災いを避けるために日頃から忌むべきもの、ことへの接近や接触を避けていた神主の場合にも長い物忌期間が定められ、死との距離が保たれていた。しかし、神主の場合には3ヶ月という長期間が定められていた。ところが、神道の教理には死に関する内容や道しるべが無いという弱みがあり、身を遠ざけるのみでは不十分であった。生きている間にどうしても排除することができない「死」について、精神的な支えや固い土台となる内容を国民に与えることができずにいた国家状況の中に、「死」を崇拝する強烈なカルト集団蘇我氏が韓国(百済)から入ってきたのである(西暦552年)。そしてその死者崇拝者集団は、神道の「弱み」に狙いを定め、汚れを嫌い「物忌み」をする日本国民を嘲笑い、「ものの意味を教えましょう。」と言い、死に関する喋りで日本国家の中枢にまで侵入したのであった。だが、それでは止まらず、よそ者の蘇我氏とその同類は、国家の柱のような役割を担っていた物部氏(警察・軍事・裁判)、中臣氏(祭祀)や大伴氏(教育)の大多数を次々に残虐に殺害し、592年に第32代崇峻天皇陛下をも暗殺し、国家体制を全く転覆させた。そして、自分たちの者を天皇の座に就かせ、要職を牛耳り、下手人団として「天皇の命令は絶対である」やカルト内容の17悪条をもって日本国民を「死の鎖」で縛り上げ、平和王国を奪取したのであった。
【なお、「大和朝廷」(4~7世紀)という表現は、蘇我氏を初めとする朝鮮からの渡来人による6世紀のこの甚だしい暴挙と迫害、そして国家乗っ取りを隠蔽するものであり、かつ、根本的に質の異なる統治方法を混合させるものであるため、全く相応しくない。】
はべ
へい
けが
ものいみ
ぎゅうじ
あざ
第6 弱みに突撃した仏教
ほとけ
くだら
あめのみなかぬしのかみ
さら
第7 カルト結社との接触と曝し
長年の教育活動及び牧会活動を通してカルト組織の実態を自らの目で確認し驚愕の経験を積んだ院長は宗教やカルト組織が社会にもたらす影響と危険性を分析するようになり(「宗教鑑識家」)、各国の法を軽んじ社会通念からかけ離れたそれらの実態を分かり易く打ち出してきた。そして、昨年国会において統一カルトに関する多少の動きが生じていた際に岸田総理宛に内容証明郵便(11月16日付/100-05-77741-2)を書き送り、実際に経験したカルト組織の手法や犯罪手口等、とりわけ統一カルトによる九年前の違憲投獄事件の詳細をつまびらかに述べ、法案に対する具体的な要望を記した。そして、最後の「巌壁からの叫び」にあるように、拡大し続ける事件と父子三人が受け続ける被害について日本政府自らが努力をしない限り、想像を超えた代償を払うこととなることを強調した。だが、岸田文雄総理も、後日同文書の写しを受け取った永岡文部科学大臣もこの重大な情報提供と叫び声に対し、氷のように冷たく、何一つ反応しなかった。
文書の最初の言葉はこうである。「前法務大臣葉梨康弘の先日の言動を受け、多くの国民が唖然としています。真剣に旧統一教会問題に取り組まれる岸田総理の横で、葉梨本人は旧統一教会関連を持ちながら真面目になることもなく空虚な言い訳で実に青臭い印象を残しました。同人が警察組織の元一員であるという観点から考えますと、やはり後述(第2のミ)のとおりの深刻な事実をも視野に入れなければなりません。すなわち、旧統一教会による国内外の複数の拉致事件に関して、カルト会員が計画性をもって警察組織に潜り込み、警察組織の仕組を巧みに悪用したことが浮き彫りとなりました。これを示す九年前の映像を近日中に初公開します。実に、カルト組織の会員が警察の服務の宣誓よりもカルトの規律を自身の言動の基盤とするその悪質な枠組みが確認され、国民の安全が著しく脅かされていますため、解散命令の必要性を強く感じる次第であります。」
下記十に記された内容はいずれも同内容証明郵便の引用である。
◼︎第1(1)被害者救済で目の敵に
◼︎第1(2)ホバート・フリーマン博士を中心に
◼︎第1(3)激倒失神現象を求めて
◼︎第1(4)新世紀に向けて
◼︎第1(5)躊躇なき監禁
◼︎第1(6)検閲に屈することなく
◼︎第2我々父子三人が統一カルトによって受けた著しい被害(事件)
◼︎第3「旧統一教会問題を受けた被害者救済等のための法案」に関する要望
◼︎巌壁からの叫び
◼︎追伸
第8 先生と呼ばれてはならない
プロテスタント福音派の牧師夫妻の二男としてクリスチャン家庭で生まれ育った院長阿南巌はバーゼル大学での神学の学問を終了した後にスイス国立教会に任職された改革派牧師として、そしてその後に妻子とともに日本に戻ってからは親の働きを継ぐ形で、様々な教会伝統や宗派のリーダーや人々と関わってきた。
1981年(昭和56年)5月17日に院長が日本での活動を開始する際、先輩牧師は「『先生』肩書を受け付けないなら日本では活動はできない」と厳しく強調したが、院長は「そうであったとしても御言葉にもっと従うべき」と答え、マタイ伝23章に記録されている主の御言葉「あなた達の結統者(先生)は一人であり、あなた達はみな、兄弟である。」を実行するために牧師先生と呼ばれることを断り、日本での何十年にわたる牧会活動においてこれを保ち、組織作りを行わなかった。
そして、一度も牧会(神の御言葉を教え、共同体を導くこと)を離れず40年以上の牧師歴を持つ身として、2020年2月にキリスト教会の責任者に対する「漂流罪状」を記し、「教会警鐘」と題するウェブサイトの形でインターネット上で公開した。教会組織と無関係の一般国民でさえその内容に驚き言葉を失うため、いわゆる教会関係者であればすぐにその深刻さを把握することができる。そして院長は教会組織がいかに聖書から離れ、唯一の神の裁きを招く異端の存在となっているかを具体的に述べ、キリスト教を名乗る団体に「後悔の道に入るように」と呼びかけたが、いかなる教会組織、団体、グループからも反応はなかった。
誠に、聖書にこう記されている。「神の宮を破壊する者を、み神が滅ぼす。」(第1コリント3章/神の宮とは、御神の掟と御言葉を忠実に守り行う共同体のこと)。
従って、下記漂流罪状に記されているように、御言葉を遵守せず、共同体の健全な成長を妨害破壊し、唯一の神の御名を悪用し続けてきたいわゆるキリスト教会組織の者たちに対する御神御自身による厳しい御裁きが始まった。
おきて
◼︎漂流罪状(ウェブサイト「教会警鐘」引用)
第9 沙汰を受ける ― 枯渇 ―
大寒波の襲来が予報されていたことに合わせて2014年1月に牧師歴35年以上(当時)の教育者平元巌(院長の当時の姓/後、九州にて平家に受け入れられたため「阿南」に改姓)を裁判も判決も無く千葉刑務所に投獄させた時の総理安倍晋三の後ろ盾は太平洋の向こう側にいた。そして、製造段階で多くの英単語が刻まれた格子等が目立つ隙間風も多く入る古い独房に院長を収容させただけでなく、関東地方で積雪が続いたほど異例の寒さを記録したその間の収容において暖をとるための全ての手段を禁じ(暖房の使用、毛布の使用、防寒着の着用、冬の衣類の着用)、接見禁止をも違法に付し続けた。つまり、安倍晋三とその背後の者は、院長阿南巌が3週間昼夜極寒の環境に収容されることによって肺炎を患い死亡するようにとの殺害計画でその違法な環境を人為的に作り、院長を収容した。また、奇跡的に肺炎を患わなかった院長が社会復帰できないようにと刑務所を出た際に「務所上がり」の焼印を押し、検察や警察、そして卑しい公安を使い院長の背後で汚名と偽りの情報を広め、教育者兼牧師としての院長の評判や活動基盤をことごとく破壊した。
その実行犯であった安倍晋三が統一カルトのプリンスと呼ばれていたこと及び統一カルトがアメリカ政府によって日本社会に植え付けられたものであるという悪しき史実を院長は公衆講義や練り歩きの際に、また当学院の週刊紙場問等でこれまで何度も強調してきた。そして同じように刻まれている史実は、安倍が日本国憲法をさらに踏みつけて秘密保護法案や一般国民の徴兵を可能とする安保法制を強行採決し戦争法を成立させた時に、アメリカのあの副大統領バイデンが安倍に褒美を与えたことである。
さらに、その後の2021年2月、つまり、院長一家が生活再建のために九州に移住し阿南姓となり、5年ぶりに元旦から日の丸を連日掲揚するようになった翌月の5日に、大統領に就任したばかりのあの者は全く無根拠で違法に、だがすぐさま、院長阿南巌の殺害を再び命じたのである。そして、証拠が一切残らない電磁波攻撃を手段とし、アメリカ軍は、熊本県阿蘇郡小国町の竹林を背に建つ自宅とその窓辺で日々執筆作業に取り組んでいた院長に向かい上空から電磁波戦機グラウラーで強烈な電磁波を発射し、2度目の殺害計画を実行した(生死をさまよった当時の状況と著しい被害を受けた後の回復の奇跡については号外第1号、号外第3号にて詳述)。
赤十字国際委員会も発表しているように、「戦争状態にある当事国が相手国の市民を故意に攻撃すること」は、戦争犯罪である。敵国同士、さらには戦争状態にある時でさえ、「市民を故意に攻撃すること」は、人道に著しく反したものであり、国際法上でも禁じられた重い犯罪であるため、その首謀者や責任者は戦犯として裁かれなければならない。このような規定による「国際秩序」が敷かれている中で、戦後70年以上にわたり世界の審判であるかのような振舞いを続け、かつ自由や平等など「法の支配」を強調してきたアメリカのその大統領ジョセフ・バイデンが、アメリカと戦争状態にあるどころかアメリカ政府が内政から外交まで全てを背後で仕切り奴隷国のように扱ってきた日本のその一国民、それも、日本の平和と透明な民主主義の実現のために牧師兼教育者として長年尽力し違法に刑務所に投獄され務所上がりの汚名に苦しみ社会復帰もできなくなっている父子家庭の父親という一市民に対し、魔界の飛行物体というべき電磁波戦機を向け、著しい電磁波から成る一撃を発し、殺害計画を実行したのである。
実に、この底無しの不法行為を位置付ける表現を社会はまだ有していない。そして、戦争犯罪よりも遥かに重く巨大な罪を犯したこの者を早期に裁いていたのであれば、コロナがこれほど多くの人の命を奪うことはなかった。
誠に、院長阿南巌が官邸前等で明確に述べたように、院長を違憲投獄し肺炎で殺害しようとしたその不正、及び、その後全ての裁判所が正義と法に反逆し父子の提起した本人訴訟をことごとく絞殺し、あらゆる公的機関がこの事件を殺葬してきたため、前代未聞の「感染型」肺炎という災いが人類に降りかかった。そして、バイデンのような者を支持する冒涜者に対し、院長は2019年5月9日に「CORONA : GO ! KILL ! MANY AND MORE !」との言葉を発せられ、公開したウェブサイト(https://evilsupper.wixsite.com/reckoning)でそれを発信した。
当時のエジプトのパロのように、アメリカとその大統領もまた、自国民と上層部の多くが苦しみ死に去ったことを経験してもなお、後悔の道に入らなかった。むしろ逆に、バイデン大統領も岸田総理も属す重度のカルト結社イルミナティとしてバイデンは複数人とともに、本年2月15日の朝、「車輪」を使った霊攻撃をもって院長阿南巌に対する3度目の殺害計画を実行した。
しかし、その魔界からの攻撃は、正義と平和の王の御紋章を受け、主イエス・キリストの御手の中にある院長阿南巌の命を奪うことはできなかった。
戦後時代の終焉が到来した。
誠に、院長阿南巌に二度目の死、そして二度目の実際の復活という特別で素晴らしい進みを与えられた正義の王は、この極悪人にも相応しい裁きを既に用意されている。
すなわち「枯渇」である。
そして、「バイデンは枯渇した」と日本国民が言えるようになる日が来る。
第二次世界大戦後にナチス幹部らを裏口から入国させ今やそのカルト会員によって支配されているアメリカ政府が70年以上にわたり虐げてきた日本国民は、言えるようになる。
― 「バイデンは枯渇した」 ―
くまな
Biden, go and look for them. And you will find out that both of our parents, our father Iwao Kumana and our mother Margreth Kumana, that they are
But you, J. Biden,
President of America ― the sinking Babylon, you will dry up !
This is the judgment on you, decided by the MOST HIGH !