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​公開日 2023年3月12日

留守を預かる間の進みについて

​-  院長の訃報と実際の復活 

2月15日(水) 

◼︎2023年2月15日午前7時前、院長阿南巌は突如激しい苦しみを訴え、心臓の「空打ち」状態が著しく目立った。これまでも院長は複数のカルト結社の標的にされ、霊攻撃を受けたことがあったが、毎回、主イエス・キリストの御名による御助けと回復をいただいていた。この前日にも夜の睡眠中にも何の前触れや異変がなく、起床後の急展開であった等の観点から、霊術による攻撃であることを確信し、共に祈り続けた。

 約1時間が経過した時、父の呼吸は安定し、心臓の鼓動も平常時に戻り、まさに峠を越えた様子でした。そして、そこから数十分間休み、午前9時前に3度ほど深呼吸したわけですが、その後間も無く、父の体温が下がり、反応が無くなり、そして、呼吸も止まったことを認識しました。詳細は21日付22日公開の文書に記載

◼︎午前11時頃、丸の内警察署の警察官に「今朝、突然の出来事が起こり、本日の決算講義行進を中止します」と電話連絡をする。

◼︎正午頃、決算講義行進について、当学院及びsquareupwalks77のサイト上で「中止」及び、再開についてもまた掲載しますと情報を更新。

◼︎臨時の集会

2月16日(木)

◼︎午前9時半頃、丸の内警察署にて面識のあった警察官に前日の出来事を伝え、我々阿南父子三人がイエス・キリストを主とし、聖書の道を素朴に歩んでいることを伝え、主が仰せられたお言葉「わたしはよみがえりであり、命である」を引用し、父が復活することを信じていることを告げる。

◼︎午前11時頃~午後3時頃 新宿警察署の署員や救急隊員、東京消防庁の隊員や警視庁本庁鑑識課の警察官等が当学院の事務所兼院長一家住まいにて、院長阿南巌の死亡、及び事件性が無いことを確認。

◼︎午後3時半頃、院長の「今はまだ亡骸」が新宿署に搬送され、院長の長女及び二女は取り調べに応じる。

 新宿署の担当刑事は死因特定のための解剖を了承するようにと姉妹を攻めた。姉妹は霊における戦の観点に触れ、「父は何かの傷や不具合で亡くなったのではありません。朝もはっきりと言いましたように、これは霊における戦であります。父の霊は今一定期間離れています。しかしその一定期間が過ぎれば、父がよみがえることを我々は信じています。ですので、解剖には固く反対します。許可しません。」と解剖を固く断った。

 これを受け、同係長は資料を持参し、「日本の法律では死因特定のために解剖しないといけないことになっています。法律があるんです。だからご遺族の了承がなくても、警察はできるんです。了承しなくても警察は解剖できます。」と強調するようになった。

 遺族の明確な反対を押し切ってまで身勝手に解剖を進めることを正当化する法律が存在しているはずがない、と考えた姉妹は、「であればその条文を見せてください。」と続け、条文を読んだ。そして、これまでの多くの本人訴訟の経験を背景に長女阿南百合子は、その条文が今回の一件に該当しないことを一つずつ解説しながら結論づけることができた。また、6番にあるように、裁判所がこれまでの父子の訴訟を全て絞殺してきたことにも言及。その音声記録はこちら。

 なお、録音は言葉を記録することはできるが、実際の話の圧や空気の重さを認識及び記録することができないため、会話がいたって穏やかに聞こえる場合がある。

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 これを受け、係長は上司に報告すると言い、相談室を出た。そして、遺族姉妹を1時間以上待たせた後に戻った同係長は「解剖させてください。お願いします。」と言い、頭を下げた。しかし、姉妹が相変わらず「いいえ、解剖は許可しません。」と言い主張を変えなかったことを確認した係長は、「じゃ、明日、都内の病院でCT画像を撮ることにします。そして、その画像や検視した私の話などを東京都監察医務院の監察医に対してします。そしてその話やCT画像を見て、監察医が死因を特定することができれば、それで終わりです。しかし死因が判明しなければその後に解剖します。死体解剖保存法(8条)という別の法律がありますから。」と言った。姉妹はCT画像の結果を待つことのみを了承し、解剖は許可しないことを繰り返したが、係長は無言で退室した。19時を過ぎていたが、そこから何の動きもなくさらに1時間弱が過ぎた。このため、不審に思った姉妹は刑事課へ行き、「我々は解剖を絶対に許可しません。監察医務院の最終責任者が都知事なら、必要であれば都知事をも相手にします。」と強調した。係長は「一応、こちらも努力していますので」と言い、翌日のCT画像の結果を待つことで合意、20時半頃署を後にする。

2月17日(金)

◼︎午前、新宿署刑事課係長の同僚と名乗る刑事からの連絡、すなわち「CTスキャンの結果、解剖せずにお父さんのご遺体をお返しすることができますので、棺を用意してください。そして、署に来る際には帰化した際の書類をも持参してください。」と告げられ、姉妹は新宿署に向かった。帰化以前に関しても帰化後に関してもこちらに隠すことは何も無いため、書類を準備した。ただ、帰化当時、法務局の担当職員は「今後、帰化前の氏名を尋ねられても、いかなる機関に対しても、旧姓を教える必要はありません。」と言っていたため、新宿警察署が旧姓の記載された帰化時の書類を求めていることを不審に思った。

 正午頃、姉妹は新宿署に着き、相談室に入った。係長の部下刑事がすぐに「帰化時の書類はありますか」と尋ねた。長女は帰化時の書類を渡した。この書類を渡すや否や、係長が入室し、「今から葬儀屋が来るように福祉事務所に連絡入れてください。」と唐突に指図振舞いで言った。院長一家は9年前から続く弾圧により、新宿区の生活保護受給世帯であり、警視庁本庁が不備の無い告訴状の受理を違法に拒んでいるため、社会復帰もできない状況が続いている。

◼︎新宿区役所の福祉事務所に電話連絡すると、「担当者は今日1日不在なので、また週明け月曜日になります。」と猫かぶった女職員が放った。長女は「では少なくとも、葬儀屋さんが今日新宿署に来るように葬儀屋さんに伝えてください。」と言った。職員は「伝えることはできますよ。またこちらからの連絡を待ってください。」と軽々しく言った。約1時間後、福祉事務所の担当ケースワーカーの上司にあたる木村係長から電話がかかってきた。彼女の切り出しはいつにも増して猫かぶった話し方であり、「木村です。今回のことは本当に、びっくりしてます。それで、冠婚葬祭の費用でお葬式等に出る額は、21万2千円です。だからこの金額以内で葬儀屋さんとか探す必要があります。」と極めて冷淡に喋り、「御愁傷様です」の一言もなかった。

◼︎14時頃、東京都監察医務院の職員が入室し、姉妹に死体検案書を示し、死因と思われるものについて話をし、検案書を手渡そうとした。だが、細谷直監察医の名で作成されていたその検案書には「小脳出血」と断定されていた。女性職員と刑事の話では「だろう」、「推定」としか言えないことがはっきりしていたため、死体検案書の直接死因の後ろに『推定』の二文字を加えるようお願いをした。女性職員は「分かりました、推定の二文字を加えてきますので、少々お待ちください」と言い、退室した。しかし、約5分後、女性職員は部屋に戻り、「私の伝え方が悪かったと思います。推定の二文字を加えることはできません。」と言い、緊張が高まった。姉妹は「推定の二文字を加えることを先ほど約束しました。加えてください。」と再度お願いしたところ、監察医の細谷直が入室し、着席した。この細谷監察医は嗜虐的な笑いを浮かべ、「推定の文字は加えません。この死因で納得いかないようなら、解剖、やりますか。」と何度も邪に聞いてきた。遺族姉妹がいかに解剖に反対であるかを知った上で、この監察医はこのように、一線を越えた。その直後、細谷監察医は突然「私の名前で出した書類です。…じゃ私は組織の人間ではないんですか。」などと裂き舌を使い始めたが、長女はすぐさま、「いいえ、これは組織として出している書類です。先ほどの話から死因を断定できないことがはっきりしたので、推定の二文字をここに加えてください。」と再度、強く求めた。しかし、細谷監察医が話の温度に耐えられなくなった時、刑事課係長が部下にドアを開けさせ、細谷監察医は遺族との話の最中に足早に逃げて行った。この展開と新宿警察が細谷を不正に庇ったことに大変憤った遺族姉妹は「ならば、今から監察医務院へ直接行きます。このような振る舞いはとんでもない」と言い、署を後にしようとした。ところが、二、三人の警察官が遺族姉妹が相談室から出ることができないよう、その行く手を阻み、「とにかく一回、座って!」などと、荒い口調で姉妹を攻めた。

◼︎この話の際、細谷監察医は遺族の了承が無い場合にも解剖はできる、法律がそうなっていると強調したが、彼ら法医学関係者が根拠条文として主張する死体解剖保存法第8条は同法第1条の「目的」によってその適用範囲が限定されている。つまり、同法第1条に明記された「公衆衛生の向上を図る」観点又は「医学の教育、研究に資する」観点のいずれかに適正に当てはまる場合にのみ合法である。そして今回、前者の衛生云々はそもそも該当せず、後者の「医学のため」は露骨に表現して人体実験に他ならないため、遺族の強い反対を押し切って解剖を強行することを正当化する条文では無いことが明らかである。このため、この細谷直監察医もまた、遺族である我々に対し、非常に威圧的にそして開き直った姿で噓偽りを強調したことが手元の音声記録からもあらわである。

◼︎そこから姉妹は1時間弱待たされたが、何の進展もなかったため、エレベーターで降りようと部屋を出たが、係長の部下がエレベーターの入り口に立ち、降りるのを強引に阻止した。「何の進みもない。このままでは監察医務院へ行く時間がなくなります。もう、行きます。」と長女が憤りを露わにすると部下はようやく係長を呼んだ。係長は少し慌てた様子、だが、半笑いを浮かべながら、「ちょっと待って。ここに一旦座ってください。」と言い、鉛筆でメモ紙に粗雑に円を描き、何度も同じくなぞりながら、「いつまでもご遺体を新宿署に置くわけにはいかないんです。毎日、他の遺体が入ってくるんです。だから早く葬儀屋さんを探してください。」と急にまた姉妹を攻めた。長女は「はい。だから探すと言っています。でも、福祉事務所は土葬を引き受けてくれる業者は都内には無いと言っているので、近郊で土葬を引き受ける業者を今から自分たちで探すほかはありません。ただ、今日はまだ二日目ですよ!そして、あの医者との話はまだ終わっていなかったのに、話の最中にどこかの裏の部屋に逃げた。我々も次に進みます。」と強い口調で言った。係長は、続けた。「で、いつまでも新宿署に安置することができないので、一時期的に預かってくれる業者に話をつけました。『アイル』という業者です。そちらの方で埋葬を引き受けてくれる業者さんを見つけるまで無料で預かってくれると言ってます。親切な業者さんですよ。だから、土日、私は休みなので、月曜日、お父さんのご遺体をアイルに移します。」と言った。長女は一度は礼を言ったが、「その会社について、こちらでも調べます。」と言い、月曜日再び警察署に足を運ぶことで両者は合意した。

◼︎16時過ぎ、東京都監察医務院にて、監察医で院長の林紀乃さんとの話をすることができ、細谷監察医の対応等を説明し、「推定」の二文字を加えて欲しい旨を伝えた。林院長は、「『推定』の二文字を加えればいいわけですね。」と言い、「原本があるので、一緒に訂正したいので、一度、そちらの死体検案書を預からせてください」と言った。長女は検案書(細谷監察医が記名押印したもの)を手渡した。

 5分ほどが経ち、林院長は「推定」の二文字が加えられている死体検案書を手渡してきた。そして「私の名前で新しく発行させてもらいました」と言い、検案書を確認したところ、東京都監察医務院の院長林紀乃監察医の氏名で発行された死体検案書に変わっていた。

 同じこの話の際、長女は林監察医に対し、「今日の午前、東大病院で撮られた父阿南巌のCT画像を元に小脳出血と推定したようですが、そのCT画像を林さんは見ましたか。そして見せてもらえますか。」と尋ねた。これに対し林監察医は「いや、私は見ていません。でも東大病院に行けば、見せてくださいと言えば、それは見せてもらえると思います。」と答えた。このため、姉妹は「ありがとうございます。では東大病院の方で確認したいと思います。」と言い、17時半頃に医務院を後にした。

◼︎自ら検案をしていない医者が死体検案書を発行することが犯罪であることが後日、判明。そして、姉妹がこの会話をも録音していたため、林監察医が父阿南巌の亡骸を確認していないこと、及びそのCT画像と言われるものも見ていないことを林院長自らの言葉で発言していることが音声記録として今手元にあるため、東京都監察医務院の院長林紀乃が医師法20条に反して公文書である死体検案書を発行したことが揺るぎない事実となっている。これは、あの細谷直監察医が真実に従い「推定」の二文字を加えたならば未然に防ぐことができた犯罪であるが、一つの不正が次の不正を招いていることが顕著に表れた一件となっている。

◼︎18時頃、姉妹は帰宅。だがその後、父阿南巌の亡骸の不正移動を企てている者がいるとの情報を受け、20時過ぎに新宿署へ行き、刑事課の村上と30分程、確認の話をする。村上の不自然な返答や時折の笑い、そして、核心の問いに対し、それを否定しなかったことが村上の関与を裏付けた。同じく会話を録音した姉妹は、その晩23時過ぎに新宿警察署及び麹町警察署に対し、右のファクシミリを送信し、警告した。

しぎゃく

2月18日(土)安息日

◼︎父阿南巌が実際によみがえるとのお約束をいただく。

2月19日(日)

◼︎調査や準備、アイルの実態が判明。

2月20日(月)

◼︎朝一、新宿署へ赴く。そして係長の上司に当たる警察官に対し、「アイルの実態を調べました。その結果、父の今はまだ亡骸をアイルに移すことに固く反対します。」と伝え、上司の警察官と重要な話をする。その際、アイルに移すことに反対する具体的な理由をも挙げた。長女は「父が誕生する前に、つまり、祖母が妊娠していた時、近くの寺のおばさんが来まして、『どうですか、順調ですか』などと口では体調を気遣うようなことを言いながら、祖母のお腹を触りました。その際、気遣いの言葉だったため祖母はあまり警戒していなかったようですが、出産の時期が来ても、そして妊娠10ヶ月が経過しても陣痛が始まりませんでした。また、祖父母は戦後、宣教師として日本に来たわけですが、あまりお金に余裕もなく、家を探していた時に不動産屋さんに紹介された古民家がありました。その古民家は家賃が非常に安く、寺の近くにありました。祖父母はそこに住むようになりましたが、その家は近所では『悪霊の家』として知られていました。そして、妊娠10ヶ月が経過した時、宣教団の医者が『このままでは母子ともに亡くなる』と言い、多くの注射を打って陣痛を促し、祖母は父を産みました。しかし、生まれた父はもう血の気もなく、息もしていませんでした。死産でした。そこで、その医者と祖父母は熱いお湯の入った桶と冷たい水の入った桶を用意し、赤ちゃんを冷水と熱湯に近い温度の桶に交互に入れて、懸命に祈りました。これにより、父は突然産声をあげました。これが父の誕生の詳細なのです。ですから、あの寺の老婆は祖母のお腹を触っていたあの時に、お腹の中の赤ちゃんが死ぬようにと何らかの呪いや霊術を使ったんです。だからブッタカルト(仏教)関係の組織は父の誕生の前から既に、そして今までも何度も私たちを潰そうとしてきたのです。ですので、ブッタ教との関連を強く打ち出しているアイル、さらには『ご遺族の立会いの必要ないコース(ご遺体引き取りから火葬まで全てを行うサービス)』をウェブページで第一にうたっている業者に父の亡骸を預けることはできません。そして固く反対します。」とその理由をも説明し、父阿南巌の誕生に関するこの話に言及した2015年の作成資料の写しを同警察官に手渡した。この資料は、当時、日本全国の警察本部宛に送付したものであり、院長一家が政治団体「全民党」として活動していた際に作成したもの、且つ、2014年1月の投獄についてまだ「投獄」の事実が判明していなかった時期に作成したものであり、院長の誕生に関する箇所は同文書(PDF)3ページ目中程にある。刑事課課長代理の伊藤武三警部はこの内容及び事情を真剣に受け止めた様子だった。

◼︎この時、父阿南巌が実際によみがえるとのお約束を先日いただいたことを同警察官に伝えた。そして、「この世の最大の力は『死の力である』と言われていますが、死に勝る力があるのです。それが復活の力であります。復活の力が死に勝る力であることが具体的に示されるのです。」と告げることができた。

 

◼︎11時20分頃、東大病院にて、父阿南巌のCT画像に関する情報を扱っている場所が東大法医学部であることを知る。そして、「東京都監察医務院の方が東大病院で見せてもらえると言っていたのでCT画像を確認したく来ました。」と電話で告げ、「東京大学法医学部の●●」と名乗ったその女性の部屋の前に立った。電話で「急に来られても見せることはできません」と言っていた彼女であったため、姉妹が急に12階のその部屋の前に立っていたことに同人は非常に驚いた。約束がなかったので待つつもりであったが、彼女は対面で一言も説明せずに警察に通報した。そして、警察が来るまでしばらく時間がかかり、途中、法医学部の4~50代の男が話しかけてきた。こちらが「遅くなりましたが阿南(くまな)と申します。遺族です。」と言った際、そのだらしない身なりの男はただ鼻で笑った。そして同人は今回の件とは一切関係のない「検事が判断する」などの事をダラダラとしゃべり、事態の深刻さを全く把握しようとしなかった。

◼︎やがて、元富士警察署の警察官が来、事情を聴いた。東大法医学部は「警察か弁護士か検事を通しての依頼でない限り見せることはできません。法律で決まってます。ルールに則ってやってます。」と主張した。当日の様子は次の通り。

 遺族姉妹は「東京都監察医務院の方が『東大が持っているので、見せてくださいと言えば見せてもらえる』と言っていたので、来ました。東大が一般的に遺族に見せないのであれば、それは東大が決めたマニュアルであり、法律ではない。遺族にCT画像を見せることはできない云々の法律は存在しません。東大のルールは法律の下にあります。」と強調した。

 警察はどちらに非があるかを見抜き、「どうしますか」と尋ねてきた。姉妹は「父のCT画像を見せないのは遺族に対する不正です」と強調した上で、「先ほど宣告した通りになります」と締めくくり、東大を去ることとし、二人の警察官と共にエレベーターに乗った。他の警察官は法医学部の複数人から事情を聴取し続けた。エレベーターは一階に着き、警察官が玄関まで見送った。姉妹は警察官に挨拶をし、同大学を去った。

 この異様な光景をエレベーター前に立っていた三人の白人男が凝視した。

2月21日(火)

◼︎当学院の事務仕事に従事。

 

 

2月22日(水)

◼︎15日の出来事に関して、「Dominus regit me, et nihil mihi deerit.(ページ名「黎明は近い」)と題する文書を当ウェブサイトにて公開

◼︎決算講義行進(SQUARE UP WALKS 77 )を無言行進の形で再開することをウェブサイト上で発表。

◼︎13時~14時半 旧GHQを囲むSQUARE UP WALKを無言行進の形で実施。

 

2月23日(木)

◼︎事務仕事に従事

 

2月24日(金)

◼︎これまで当学院として呼びかけてきた52の在日外国大使館宛に、15日の出来事に関する文書を発送。

◼︎新宿福祉事務所の担当職員に22日公開の文書を印字したものを手渡す。

2月25日(土)安息日

◼︎東大法医学部が閲覧を拒んだCT画像について、父阿南巌のCT画像ではなく、得体の知れない物体の画像を東大法医学部が、あたかも父阿南巌のCT画像であるかのように見せかけ、関係機関に「脳内出血」などと偽りを述べ、事実と異なる死因が世に出る原因となったことが判明した。

 

2月26日(日)

◼︎13時~14時半 旧GHQを囲むSQUARE UP WALKを無言行進の形で実施。

2月27日(月)

◼︎24日付の大使館宛文書をウェブサイトsquareupwalks77上で公開。

◼︎東大法医学部のこれまでの振舞いが直結しているとしか解釈できないことに、東京大学の正面入り口右手の広報センターは何年も前から訳あり物件として大学内の不正を物語っている。そして今回、東大法医学部のこの不正を受け、遺族姉妹はその監督責任を負う文部科学省へ赴いた。アポイント無いため職員は対応しないと言われたが、同省医学教育課の「萩野」と名乗る女性職員はやがて「私であればお話をお聞き致します」と電話口で言い、話を聞くことを約束。これを受け、姉妹は文部科学省2階の第二応接室へ進んだ。警備員は姉妹を制止しようとしたが、長女は「今、約束をもらいましたので、」と言い、ドアノブをひねった。警備員たちは皆、施錠されていると思っていたが、ドアが開いたため、姉妹は入室し、照明を付け、着席した。そして、電話で萩野さんに対し「第二応接室で待ってます」と告げた。警備員の一人も、退去してください、と言わなかったことであるのに、文部科学省の警備隊長が現れ同僚に対し「警察呼んだ」と、ぼそっと言った。やがて、麹町警察署の署員が臨場し、両者から事情を聞いた。

 姉妹は次の一枚(PDF)を警察に見せ、「萩野さんからの約束を得たので、この部屋で待ってますと伝えました。得体の知れない物体のCT画像を撮り、あたかも父のCT画像であるかのように世に出すのは我々遺族にとり重大な事件です。東大法医学部のこの不正について、東大の監督責任を負うこちら文科省の医学教育課のどなたかと正式に話がしたいです。今日はもうこの時間(17時40頃)ですので話ができないのは分かりますが、近日中に確実なアポイントが欲しいです。」と言った。麹町警察署の警察官は誠意をもって対応してくださり、「『明日以降、もう一度電話でアポイントを取ってください』とのことです。」と言った。姉妹は、「それはできますが、文部科学省が今日の事を無かったことにすることができないよう、こちらの書面を事件記録に綴ってください。」と警察にお願いした。警察官は「あっ、これを受け取ることはできません。」と言ったが、「では、アポイントを取る際に今日対応してくださったあなたのお名前を告げることができるよう、所属の部署とお名前を教えてください。」とお願いし、警察官はすぐに対応した。そして、文科省の職員に対しても「私の所属等を教えましたので、彼女たちはアポイントは電話で取れることで間違いないですね」と念を押し、その結果を遺族姉妹に伝えた。警察の仲介によって初めて得た約束(電話でアポイントを取ることができる)を受け止め、姉妹は文科省を去った。

2月28日(火)

◼︎前日の警察を介した長いやり取りを背景に、午前10時半頃に文部科学省の医学教育課に架電し、アポイントをお願いする。しかし、アポイントをお願いしたところ、同じ女性職員萩野は「えーっと、それでしたら、あの警察の方から直接アポイントをいただきたいんですけれども。…(略)…昨日、お話は伺ってないんですけれども、どういうお話でしたか。」などと正気でないたことを言い、いかなるアポイントをも身勝手に断った。さらに、東大に関する真っ赤な嘘を述べ、東大法医学部の不正を隠蔽するその振舞いから、文科省医学教育課までもがこの一件に関わり、黒であることが判明。通話の音声記録は手元にあり、その紙面及び萩野の虚偽主張を打ち消す資料はこちら。

◼︎午後、この通話記録(紙面)や書面一式を麹町警察に提出。同署署員も「警察がアポイントを取ることを求めるのはおかしいです。変ですよ。なんであんなことを文科省の職員が言うんですか」と驚きを隠せなかった。姉妹は「文科省も黒であることが判明しました。この内容も近々、当学院のウェブサイト上で公開します。」と締めくくった。

◼︎東京都監察医務院から死体検案書の謄本が届く。

3月1日(水)

◼︎13時~14時半 旧GHQを囲むSQUARE UP WALKを無言行進の形で実施。

◼︎当学院の事務仕事に従事

3月2日(木)

◼︎午前10時、東京都監察医務院や東大法医学部の不正が発覚したことを受け、及び、これに関連して新宿警察署にも非があるため、新宿警察署にて刑事課係長に対し、院長阿南巌の復活に先立ち欠かすことのできない進みと条件を書面で伝える。新宿警察署署長様宛の同文書を読み上げ、もって「要請」内容を同刑事が把握した上で、同文書を署長様に渡すようお願いした。しかし、同係長がそのことを約束しなかったため、「約束できないのであれば、明日、この手紙の写しは本庁に届きます。」と迫った。係長は開き直った様子で立ち去った。この18分程のやり取りの音声記録はこちら。

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◼︎午後、新宿警察署署長様宛に書かれ、「復活の目的」、「違法の発覚」、「汚れの防止義務」、及び「要請」内容が記されたこの手紙及び資料の写しを次の文書とともに警視庁警視総監宛に書留で発送し、誠意ある対応を求める。
よご

3月3日(金)

◼︎諸用

3月4日(土)安息日

 

3月5日(日)

◼︎13時~14時半 旧GHQを囲むSQUARE UP WALKを無言行進の形で実施。

 

3月6日(月)

◼︎3月2日(木)の岸田総理及び山本太郎の国会答弁内容を受け「裂き舌に変わりはない」と題する文書を公開。

3月7日(火)

◼︎新宿の福祉事務所にて3月分の生活保護費を受領。3人世帯であった2月までの生活費は153,000円であった(毎月の管理費28,000円は生活費から充当するもの)が、2人世帯になったことで減額。そして2月15日から2月末までの2週間分は「保護費過支給」とみなされ、返済するように言われただけでなく、これまで生活費から引いていなかった父の介護保険料を同事務所は突然、姉妹の生活費から引くと主張し、根拠を述べることもできないまま身勝手に2130円をさらに引いた。

◼︎このやり取りの関係で待たされていた最中、白髪混じりオールバックヘアの赤いジャンパーを着た中年男が福祉事務所に入って来た。その振舞いはどことなくチンピラのようであった。そして、同人は福祉事務所の課長若しくは部長に会えるよう、札に記入し、カウンター前のロビーで待っていた。そして、スーツ姿で60代前後の職員が事務所の奥から近づくと、この男は頭を何度か動かしながら「ウッす」のような音を何度か出し、いわゆる挨拶をした。部長らしき男性は少し不安そうな顔で「どうしたの、今日は。」と尋ねた。赤いジャンパーに黒いジャージ姿の白髪混じりの男は躊躇なく「資本金が無くなっちゃった」と、一言一句、あの生活保護受給者が使う事務所で言った。部長らしき彼は少し考える様子を見せた後、「じゃ、あちらにお掛け下さい」と言い、赤ジャンパー男にカウンターに座るよう促し、一度事務所の奥に戻った。このやり取りから「特別な金庫」をまた開けてもらえると分かった赤ジャンパー男は、部長らしき職員がカウンターに来るまでの間、ロビーのようなその広いスペースで人目構わず、何度か大きくゴルフの動きをし、ご機嫌だった。そして、カウンターでその話が成立し、福祉事務所をまた出て行った。

◼︎一方では、父子家庭で育った姉妹が父を亡くしたばかりであり、根拠なく不当に数千円が福祉事務所職員によって生活費から奪われる。一家が生活保護受給世帯になったことも、社会復帰できない状況が続いていることも、安倍内閣とそのカルト方針を踏襲する岸田内閣や公的機関職員による著しい不正であることは当学院が当ウェブサイトや講義等で十二分に示しているわけだが、他方では、チンピラ系の白髪男が自分の一ヶ月分の生活費を使い果し、軽々しく「資本金が無くなっちゃった」と言い、特別金庫を開けてもらうという著しい違法不正が同時に起きている。男の後ろ姿の写真は次の通りであり、この一件について担当職員に対し憤りをあらわにしたその音声記録はこちら。

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3月8日(水)

◼︎13時~14時半 旧GHQを囲むSQUARE UP WALKを無言行進の形で実施。

 

3月9日(木)

◼︎1週間が経過したが、3月1日付文書に対する新宿警察署及び警視庁本庁からの誠意ある対応は無かった。

◼︎これにより、院長阿南巌の復活について、正義の王より、次のご命令が発せられた。その内容は、「院長阿南巌の亡骸を明日の夕方又は日没後に引き取ること、及び、新宿警察署から住まいへ移すにあたり、警察車両で運ぶこと。」である。

3月10日(金)

 これまで新宿警察署は1日も早く亡骸を引き取るようにと電話や話の度に強調してきた。

◼︎前日に仰せつかった内容により、午前9時20分頃に新宿警察署刑事課に架電。課長代理伊藤警部が出払っているため、同人が折り返し電話することで合意。

◼︎14時半頃、伊藤警部からの架電を受け、内容を伝える。警部は遺族長女を侮辱した後「どういう対応になるか分からない。」と言い、電話を切った。通話記録はこちら。

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◼︎16時、遺族姉妹は新宿警察署に着き、4階刑事課前の廊下にて、係長の部下であり森澤と名乗る男刑事に対し、「父の亡骸を引き取りに来ました。」と言い、午後の電話で伊藤警部が内容を把握していることをも伝えた。これに対し、新宿警察署刑事課の森澤は突如、「お父さんのご遺体については今、新宿区役所に移す手続きをしています。」と言い放った。遺族の了承はおろか、遺族に一言も言わずに身勝手極まりない進みをとり始めたことが判明。驚き入った遺族姉妹はすぐにそれに反対であることを強調し、今日、引き取りに来たためその手続きを即止めるようにと求めた。だが、新宿警察署は一切、応じなかった。姉妹は1時間、懸命に努力し、正義感のある警察官が対応するようにと求めたが、次の14本のノーカット音声記録と下記の写真から新宿警察署が不正に不正を重ね、ヤクザ口調や暴力を用いて姉妹を最終的に約20人がかり、それも体当たり等でイテヨン事件の手口のようにエレベーターに押し込み、そこでも遺族を苦しめ、野犬の如く署の外にまで出て姉妹が歩道を使うことをも全面的に阻み、日本国憲法第13条によって保障されている姉妹の人権を著しく踏みつけたことが、衝撃的に分かる。姉妹は、「このやり取りを全て録音した。そして今日、これを公開する。これまでの3週間の進みと共に、今日、公開する。」と強調し、憤りに燃えながら、去った。

遺族に隠して遺体を区役所に引き渡す新宿署。
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朝鮮特権は誠に違法である。
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一番悪いのはアメリカ。朝鮮特権を与え、日本に対する甚だしい内政干渉を行ってきた。
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不正を働くと、その報いとして知能がどんどん劣っていく。
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警察の不正を我々は飲まない!
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左の写真右端はカルト会員特有の振舞いと嫌がらせを続けた森澤。右のカメラ目線の男は、この暴力的進みを率いた刑事課の「村上」。同人の闇組織との関連により、部下らは己のチンピラ繋がりを笑いながら認め、脅迫を手段とした。

◼︎このように、新宿警察署が遺族姉妹の父阿南巌の「今はまだ亡骸」を、姉妹の背後で新宿区役所に引き渡す手続きを開始したことが判明し、なんと、遺族の反対と土葬の権利を踏みつけて秘密裏に火葬しようとしていることが露わとなった。

 唯一の神は、人の隠れた言動を全て、見ておられる。
 そして、天つ書に記されているとおり、復讐の神でおられる。


 これゆえ、この著しい不正は、新宿警察と新宿区役所をはじめ、表裏で関わる全ての関係者に、厳しい裁きをもたらす。そして、組織の一員としての行為であろうと、その代償を払うことができないため、災いは個々人の私生活にまで及ぶ。
 悪行は、国民の前で、そして天日に、干される。

あま

3月11日(土)安息日

◼︎正義の王は、阿南巌に新しい肉体を与える、と仰せられる。

 つまり、悪の手下による最大の抵抗も、院長阿南巌の復活を阻むことはできない。

◼︎約40年前に与えられたお言葉がある。

 すなわち、「日本は訓練地」。

 院長は日本にて42年間活動され、今、本番が始まった。

目に映るものがいかに異なっていようと、

御神のお言葉は、成就しなければならない。

復活も、日本の黎明も、必ず、現実となる。

最後に

 上記2月20日欄添付のPDF文書(2015年6月1日付4頁目※2)にも一部記載があるように、当越励学院の責任者は、私人として聖書の価値観を人生の基盤とし、当学院の協力条件は、新興宗教的構造を受け入れないこと、真実と正義を重んずること、そして、いずれ不変の真理によって自らの言動が秤にかけられる、という認識を持つことである。

 なお、自らの価値観を第三者に押し付けることは信教の自由を侵すものであり、正体を隠し社会で横暴に振舞うカルト団体の特徴である。

 誠に、真実と正義は曲げてはならないものであるため、当学院は今後とも、活動方針「あらゆる裏事情を露骨に打ち出す」に則り、全力を尽くす。

はかり
 (副題及び本「最後に」の数行は3月14日に追記)
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